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Cuarto campeón 2019 [Football]

15年待った。

掴み損ねた年からも、6年も待った。

長い年月を費やしたが、それまでの優勝とは確かに違う、総合力でのタイトルだったように思う。

様々なところで書かれているように、トリコロールが転機を迎えたのは、2014年のシティ・フットボール・グループ(CFG)との提携であることには論を持たない。日産からの直接の資金注入ではなく、CFGを経由させることで経営リソースを拡大させ、グローバルな活力をクラブにもたらすJリーグ初の試みは、5年の歩みを経て優勝という形で結実した。

ピッチ内に目を向ければ、ボスことアンジェ・ポステコグルーが持ち込んだアタッキング・フットボールの哲学は、1年の低迷を経て確実にチームに浸透。忘れてならないのは、1年目でもカップ戦で決勝に進むだけのポテンシャルがあったということで、これを信じ続けた経営陣、支えた強化部門、何より支持をした大多数のファン・サポーター、数々の「我慢」こそが、今季の爆発的な進化の発現を導いたと言える。

そして、ここに来て振り返ると、クラブへの功労者やレジェンドとの痛みを伴う別れも、すべては必然とも思えるタイミングで、それぞれが起こるべくして起こった別れであったのだとも感じる。袂を分かった選手達が、翌年モデルのチームで活躍する場があったかと考えてみれば、それは少数ではなかろうか。それほどまでに、トリコロールはリアリズムで進化をしてきたのだ。

こうして、2019年のシャーレは我々の元に来た。
しかし、安穏とはしていられない。世界一コンペティティブなリーグを制しつつ、さらにはアジア王座を狙うには、益々の進化が問われる2020年となろう。

グローバル・スタンダードを目指し、我ら横浜Fマリノスのアタッキング・フットボールは進化を止めない。

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2019年の○と× [雑文]

毎度の年間更新でございます。

今年は元号が変わったせいで祝日の配置が変わったり、妙な気候でいつまでも暑かったり暖かったり、変な年だったな、と思います。勿論、以下に挙げたような出来事のせいでもあるかもしれません。とにかく、生活の中では色んなことが起こりすぎた年でした。



そんなわけで、2019年の○と×でございます。○でも×でもないものが初登場です。

△ 母81歳で逝去。
○ 子供が二人ともピアノコンクールで入賞。入賞者コンサートも体験。
○ Project180に参加。ローカルでもオープン・イノベーションの有効性を実感。
× 低調に推移した仕事。
☆ トリコロール、15年振り・4回目のリーグタイトル獲得。



人生においては、どっちが大ごとなのか、ってのはあるけれど、一般的にはやはり肉親の死が先に来るんだろうか。誤解を恐れずに言うと、△なのは哀しさばかりではなく、ほっとしてる部分もあるから、と言うのが正直なところ。

・・・やっと終わってくれた、と。

終わりを予測・計画できない介護との向き合い方は、個人の問題ではなく社会課題のようにも思います。介護に備え、介護と向き合った11年については、細々と振り返り中。そのうちまとめます(ブログに残すかはともかく)。

リーグ最終戦と天秤にかけてまで参加を決めたProject180は、とても刺激を受けることができたプログラムで、間違いなく今後の自分にプラスになるヒントが沢山得られた期間でした。故郷・熊本の可能性も新たに気付けたこともそうだし、異業種で外の人達と繋がりを持てたことも。プログラムは終了したけれども、プロジェクト活動は継続中なので、来年に何かしら世にアウトプットを出すことが目標です。

そして本業については、1年間ほぼ体制維持で推移。車載は卒業かと思ってたら、なかなかそうは行かず。新しいモチベーションをメンバーに与えられてないのは申し訳ないし、これが日本を代表する企業の開発現場の実態だと思うととても恥ずかしい限りなのですが、もうそこに腹立ててる立場でもないので、文句は明言しつつも前向きに取り組むしかありません(苦笑)。来年度は何かしら新しいことを始めたいです。

優勝については、また別稿にて。
特にここ5年に色々あったけど、最高な締め括りでした。

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